西藤木の水車

west2692008-09-06

甲州市塩山西藤木にある放光寺前の水車。
これは江戸時代末期の創建で、当時は「連」と呼ばれる村落の組織で共同体管理していた。
水量が多く、馬力があるので、現在でも挽き臼と付き臼を同時に使用できる。
復元物や観光用の新設水車ではなく、山梨県下に現存する水車で、私が把握しているのはこれともう一つ北杜市大泉の水車の二つだけ。もう一つ残っているとの噂もあるが、あいまいな話が多く所在も分からない。

この水車は私が子供の頃は動いていたが、20年ほど前には使われることなく水輪も崩壊していた。

縁あって、私達の事務所が設計監理を行い、2002年から2003年にかけて解体修理をした。

金属やプラスチックと違い、材質が不均質な木材を使って、こうしたカラクリを造るのは見た目ほど容易ではない。例えば一般的に水車の車軸に使用される樹種は松といわれるが、この水車の場合はオリジナルの車軸は欅で造られていた。欅は狂いやすく、加工後すぐに曲ったり反ったりしやすい素材だ。真っ直ぐな車軸を作っても、完成までに曲る恐れもある。使うのは避けたいが、文化財修理なので同じ素材を使わなければならない。

クルクル廻らず、ガッタン、ガッタンとパンクしたタイヤのように回る恐れもあるので、実際に水を流し、規則正しく廻ったときは嬉しかった。
ちなみに、水車を取り付けて、試験運転のために水路の堰板をはずしたらその日は水量が多く回転が速すぎた。そこで、近くにあった石を水路に放り込むと、丁度よい水量になった。


変動の大きい自然条件を相手にするのにはこういった、臨機応変というか、いい加減な手段が効果を発揮するところが面白い。

この写真は今年9月4日の撮影、完成6年後もこのように元気で廻っている。