良寛さんの蒲団

west2692008-09-10

数年前、良寛さんのファンというN氏に誘われて新潟県出雲崎というところに行った。
出雲崎の町は日本海に面している。そして、山と海の間の平地に、間口の狭く奥行きの長い家が沖に向かって一斉に漕ぎ出した船のように建ち並んでいる。
N氏に進められて防波堤の先端から街並みを振り返ると、三角の屋根が行儀よく上下左右に並んでいた。
「大陸や佐渡の島から日本海の荒波を越えてたどり着いた人には、街が暖かく出迎えているような、涙がこぼれるような光景だったに違いない」というのがN氏の解説だった。
彼はこの風景を眺め、良寛さんの像を拝むために時折ここに立ち寄るのだと話していたが、その後、仕事を投げ出し、借金を踏み倒し、数多の債権者・被害者から行方をくらました。
今でも人知れず出雲崎を訪れているのだろうか。

さて、その良寛さんは曹洞宗のソウトウな高僧だったみたいだが、「子供との羽根突きに負けて、顔中墨だらけにされた」とか「隠れんぼで寝入ってしまい、置いてけぼりにされた」とか、子供好きな気のいい和尚さんのエピソードで知られる。「ある夜泥棒が入ったが、盗る物が無い。気の毒に思って、自分の寝ていた蒲団をあげてしまった」とかいう話を聞いた時には、子供心に「蒲団もらっても、ありがたくないだろうが。とぼけた話だなあ」と感じた。
しかし、碩学西山卯三の「住まい考今学」によれば、日本の下層庶民が蒲団に包まり寝るようになったのは明治中期以降なのだそうな。農村ではもっと時代が下るまで土間にモミ・ワラを敷いて潜り込んで寝ていたという。昔々蒲団というのは上層階級の使用する寝具だったということになる。

良寛さんは江戸時代の人。ソウトウ質素な生活をしていたと伝えられる。そんな老齢の彼にとっても蒲団は貴重品だっただろうに。それでさえ、あっさり手放すところが高僧たる所以なのかな。

そんなわけで今日の一枚は先日市内のお寺で見かけた仏像です。その日は天気がよく、仏像に日光浴をさせていました。
もう一枚は「野仏」。昨日引き渡した「森のアトリエ」のオーナーの所蔵品。