廃屋な日々覚え書き

west2692008-10-12

ここのところ地下室やら廃屋のことが続いたので、今日の一枚は青空をバックにレンガ煙突の写真。
これは一昨日紹介した宮光園という古いワイナリーの敷地内に残っているもの。
この煙突はブランデー醸造を行っていた時代に活躍したが、役目を終えた後はぶどう棚の支柱を支えていた。
その頃は船のマストみたいに見えたが、10年ほど前の大雪の際にぶどう棚も支柱も崩れ、煙突だけが生き残った。
地域に残された唯一のレンガ煙突なので、こちらも主屋の保存修理と同様に保存されればよいと思う。といった具合に、今日もやはり廃屋(失礼)の話題になってしまった。

何年か前に、日本でレンガの生産が中止されるという雑誌の記事を目にした。
そういえば、近頃目にするレンガは輸入物だ。しかもエイジングを施されているせいか、なんとなく脆そうだ。意匠的に仕上げるのなら良いが、構造にはどうも向きそうにない。
日本では組積造の需要が少ないからだろうが、こうした基本的な技術が消えてゆくのは何だか淋しい。
実はレンガを焼く所から建築を造ってみたかった。
数年前に同じ勝沼町内に残る明治建築「旧田中銀行」の保存修理工事の設計監理を行った。社屋の裏側には金庫を兼ねたレンガ造りの蔵があってこちらもついでに手直しした。
何箇所かレンガの欠落したところを見つけたが、同じ感じのレンガが手に入らない。そこでモルタルを同じように塗り、塗装して仕上げた。出来た時は注意して良く見ないと判らなかったけど、久しぶりに見に行ったら色褪せていた。

上の写真はそんな旧田中銀行レンガ倉庫の高い位置にある窓の鉄製の雨戸。修理工事直後の状態。
このレンガもトンネルカーブや龍憲セラーのレンガ同様、牛奥村で焼かれたものといわれている。