未来へのメッセージ

west2692009-01-17

明治初期に建てられた洋館みたいな建築は、一般的には擬洋風建築といわれているが、山梨県では藤村式建築という。当時の県令、今で言えば知事みたいな人が、「役所や学校は文明国の建物らしくヨーロッパのデザインで造るべし」と決めたらしい。この方の名前が藤村さんだったのが藤村式の由来なのだ。
お上が「べし」ならしょうがない、「何とか造るべし」である。しかしどんなデザインにすれば良いのか解からない。そこで、当時の職人は横浜あたりに出かけていって、外国人の家をスケッチしては見よう見まねで洋館らしきものを造ったのだという。
今日の一枚はそんな擬洋風建築の1つ舂米学校(つきよねがっこう)。これは現在増穂町に残っている。擬洋風建築の中にはかなりぶっ飛んだ奴もあるが、これは上品なデザインだと思う。

我々の事務所の近くにある「INO」というレストランのマスターは増穂町の出身だ。彼曰く、「実は、あの学校は僕のお祖父さんが造った。でも図面や書類を処分してしまい証拠がなくて、設計者・施工者不詳ということになっている」のだそうな。残念な話だ。

以前、清白寺というお寺の庫裏を解体修理した際に剥がした床板の裏側に「大工**」と名前があった。確か庫裏は元禄16年の創建だった。単なるイタズラだったのか、それとも未来へのメッセージのどちらだったんだろう。

舂米学校も遠い将来、解体修理の日が来たら、INOさんのお祖父さんの名前が書かれた床板が見つかるかも知れない。