鎌倉街道

west2692009-02-17

今日の一枚は勝沼宿に残る「古道」。何の変哲も無い道だが、勝沼の町歩きの際、引率のM氏から聞いた話では、これは中世の鎌倉街道の名残だという。
巾は概ね9尺、今なら2730㎜。狭いものだ。昔だからそんなもんだろうと思った。しかし意外なことに、古代の道はもっと広かったのだという。
律令制以前の日本列島は入り江や川筋を利用した水運が主な交通手段だったが、隋や唐の律令制を取り入れた際に交通手段も大陸風に道路を中心としたものに変えた。律令といえば「租庸調」だが、そういう税金代わりの重い荷物を運ぶ為に広い道を整備した訳だ。大変な工事だっただろう。しかしそういう輸入物のシステムは島国の実情に合わなくて長続きせず、いつの間にか消滅してしまった。
現代も日本全国で道路網が張り巡らされて、あちこちで自然や街並みを壊しまくっているが、いずれ消えて無くなり「自動車というものに乗っていたらしい」などと想像する時代が来るのかもしれない。そうなったら面白いが、それまで生きていられるかなあ。

下の一枚は同じ勝沼宿に有る梨の木。

「鈴木園」という民宿の庭にある。割れたところがコンクリートで補修してあるが、前述のM氏によれば、これは勝沼に残るもっとも古い品種の梨の木なのだそうな。我が家の庭にも同じような梨があった。硬くて甘くない。腹を壊さないように「よく噛んで食え」と父親には注意されたが、そういえばそんな梨を見かけなくなって久しい。残念ながらいつの時代までさかのぼる品種なのかメモを取り忘れた。