東京ロンドン

west2692009-05-24

今日は昨日の続き。
王子稲荷の狐を取材した後は京浜東北線に乗って倫敦に行った。今日の一枚はその倫敦にある19世紀に流行したクイーンアンスタイルの洋館の中庭。咲いている白いバラもイギリスには19世紀からある種類のものなんだそうだ。この建物の向こう側はかつて一丁倫敦(ロンドン)と呼ばれていた。明治時代に日本へやってきた外国人の一人にジョサイア・コンドルという建築家がいる。この建物はそのコンドルさんの設計した三菱一号館というオフィスビルなのだ。昭和43年に周囲の高層化に歩調をあわせて建替えられたが、いつか復元する日のために解体時に実測をして、部品も一部取っておいたのだという。
設計者から説明を聞くとレンガは中国で焼かれ、屋根の天然スレートはスペインから持ってきて、石工は中国人だったとのこと。
明治時代に手探りで洋式建築を建てた時にはレンガも天然スレートも石工もすべて日本産で日本人だった。設計以外はすべて国内で賄えた訳だ。それだけの社会基盤があった。
しかし、近代化はもとより先進国になって、高度な資本主義のシステムと工業技術も手に入れたら、外国を頼らなければレンガも石も使えない国になってしまった、ということか……。何を手に入れたのか、失ったのか。なんか変だな。
下の写真は夕暮れの一丁倫敦の交差点。

自転車の人達が横切っている通りが一丁倫敦と呼ばれた通り。この交差点を西に行くと丸ビルの前に出る。そこはなんと一丁紐育(ニューヨーク)と呼ばれていた時代があるんだそうな。