南野呂千米寺の謎

west2692009-07-01

笛吹市一宮の南野呂千米寺という交差点の近くにこんなものがあった。ちなみに南野呂千米寺は「みなみのろせんまいじ」と読む。話は脱線するがこの近くには「七五三石」と書く難読な交差点がある(この文の最後に答えはあります)。

話は戻って、この交差点に近い畑の中にこれは建っていた。かねてから不思議に思っていたが、なんだか判らない。掩体壕とかいう奴だろうか?幸いその日は建築史家のK先生と一緒だったので、「あれは何でしょう?」と聞いてみた。
車を停めて近寄ってみることにした。遠目にはコンクリートのようだったが、近づいたらレンガ積みだった。屋根もレンガで積んだいわゆるボールト構造だ。床面は畑の地面より低い。掩体壕にしては小さいかも知れない。防空壕にしてはやわな感じだし、芋やかぼちゃを保管するにしてはレンガ造りはやりすぎな気がする。
「あそこに人がいるから訊いてみましょう」とK先生はすたすたと歩いて、道路向の雑貨屋に入って行ってしまった。人気のない家の中におばあさんがいた。外に出てもらい「以前は製糸を営んでいた。あれは繭から糸を引き出していた場所なのだ。それから……..云々」と現在の家族構成、居住の様子、建設年代、何故か隣家の仕事などなどを次々と聞き出していた。この間約10分弱。
何事も積極性は重要だ。研究者の行動力と情報収集力を目の当たりにしたのだった。
下の写真は同じ敷地内で発見した洋館。土蔵に隣接していた。植栽に遮られて表通りからは見えない。
ちなみにこの壁の仕上げは勝沼周辺の洋館で多く見かける手法だ。こういうのは一般に「ドイツ壁」と呼ぶ仕上げなのだということも、この日知りました。


漢字の読み方のお答え→「しめいし」と読む。理由は謎。全く解からない。そこで勝手にこんな解釈をした。七五三の時には神社の鳥居を潜る。神社の鳥居は石で出来ている。鳥居には注連縄があるから…….近くにそんな神社があった。のかな?