イルヒコ灯

west2692009-09-01

今日の一枚は石灯篭。これも昨日に引き続き鎌倉は円覚寺で撮影したもの。
明治時代の日本を歩いたモースという人が記した「日本人住まい」によると、石灯籠を発明したのはイルヒコという神様なんだそうだ。池のほとりに出没する山賊から旅人を守るために夜道を照らしたという。元祖街灯なのだ。
その伝説の石灯篭は聖徳太子が建てたこれまた伝説みたいな寺に移設されたとも書いてあった。
ちなみに日本には八百万の神様がいる。明治維新以前の日本の人口が3000万人だったというから、神様1人あたりで3.7人の面倒を見ていた。手厚かった訳だ。今じゃ神様1人当たり15人もいる。面倒見切れなくなった訳だ。
神様も手が足りない。待っているばかりじゃなくて、それなりに主張しなければ救ってもらうことも出来ない時代になった。
さて、モースは文化人類学の対象として民家を記録した。異なる文明との接触をきっかけに、消滅する恐れのある文化や習俗を記録して後世に残すことが目的だった。大筋で予告通りだった訳だが、当時の日本人はそれをどのくらい自覚していたんだろうか・・・・。
そんな訳で下の写真は「数珠の実」。

横須賀線の線路脇の柵内側にはえていた。ありふれた植物だったけど、我が家の周辺では見なくなった。いつまでもあると思っている、様々な建て物や風景や植物や生き物も、「そういや最近見かけないね」と気がついた時には手遅れになっていることもある。