人生の短さについて その2

west2692009-12-29

今日の一枚は先日張り替えた障子。
冬休みを取っても、年末は慌しい。「今から荷物を届けるけど、お宅は何処にあるの?」。そんな電話で今朝は起こされた。年明け早々に締め切りがある。休み中に原稿を書いて、写真と一緒に送らなければならない。着替えて、朝食を食べて、杣口の家に写真を撮りに行った。
戻って、昼食を食べていると、「印刷会社から来年2月のイベントのためのチラシが3500枚届いた」と連絡が入る。こいつは「1月5日までに送ってよこせ」といわれている代物だ。しかし、印刷会社は配送サービスをしていない。事務所に行くと既に玄関に荷物が置いてある。3階まで担ぎ上げて、送り先別に別けて、梱包しなおして、宛先を書いて、再び玄関に降ろした。車に積んで、宅配の会社に行って、車から降ろして、サービスカウンターに載せた。大きさと重さを測らなきゃいけないが、受付の女性には持ち上げることが出来ない。代わりに、もう一度抱えてハカリまで運んだ。見ると22.5キロあった。
古代ギリシャ人にとって「自由」とは労働からの解放を意味していたという。だから、身の回りの雑事を片付けるために家事奴隷が必要だった。奴隷は戦争で手に入れる。そうして手に入れた自由な時間で様々な思索に耽っていたんだそうだ。
ところで猫の寿命は15,6年だが、彼らは労働をしない。一日中じっと何かを観察したり、考えて過ごしている(かのように見える)。古代ギリシャの哲学者みたいなものだが、戦争なんぞ起こさない分、人間より高等生物に違いない。もしかすると、人間を自分の奴隷だと思っているかもしれない。