労働の効率化についての愚考

west2692010-01-11

ノートパソコンのおかげで、図面や重い資料を持ち歩く必要がなくなった。家でも仕事場でも仕事が出来る。便利だ。
しかし、便利さを維持するために厄介なことも有る。昨日は写真の整理が終わったら夜中の2時過ぎになってしまった。慌てて布団に入り、7時に起きて、食事をしていたら電話が鳴った。8時30分だと思い込んでいた待ち合わせの時間は8時だった。
待たせた人達と八王子に出かけ、家に戻ったら「約束のものが出来たから、今から事務所に届けます」と連絡が入った。そんな訳で事務所に出かけ、窓から電線に止まったカラスの内面というものはどんなものかと推し量っているうちに暗くなった。
さて、今日の一枚はセンバコキ(千歯扱)。昔の脱穀に使われたもの。今から見ればとても原始的な道具だ。白戸三平のカムイ伝では正助という少年が発明したことになっている。それまで手仕事でバサバサと脱穀としていた非効率的な作業が、一気に効率を上げた。「便利になった」と、全ての人々に感謝されたのかというとそうは簡単ではない。手仕事で脱穀を請け負っていた、女性達(特に貧しい)の仕事を結果的に奪う。恨みを買い、正助は袋叩きにあって、道具はお蔵入りする。
便利さがすべての人にとって望ましい結果を招く訳じゃなかった訳だ。
下の写真は小淵沢の森で見かけた音楽家