「舂米」の読み方。

west2692010-09-08

今日の一枚は舂米学校。「春」という字だと長いこと思っていたら「舂」だった。見慣れない字だ。IMEパッドで調べたら一般に「つく」と読むらしい。ちなみにこれはツキヨネ学校と読む。
山梨県ではこんな擬洋風の建物を藤村式建築とも呼ぶ。明治時代の県令、今でいえば県知事みたいな人らしいが、この人が音頭を取って盛んに建てさせたらしい。手元にある資料(山梨の洋風建築 植松光宏)によれば、一時期は100棟を超えていたけれど、今は数棟を残すのみとのこと。学校建築ならこの舂米学校を含む5棟が現存している。
「増穂に洋風な学校があるでしょ?あれね、僕のお爺さんが建てたんだって」。塩山バイパスにあるお店で食事をしていたら、マスターが突然そんなことを話し出した。彼の家族の中では疑うべくもない事実なんだけど、残してあった図面類を処分してしまったので、証明するものが無い。だから正式に認められないのだそうだ。
「惜しいことをしましたね」と話は終わったけれど、当時の庶民や職人に自分の仕事を記録しておく習慣がそんなにあるとは思えない。せめて「**氏(マスターの祖父)の作と伝えられる」くらいの記録はできないのだろうか。
いつの日か「舂米学校」のどこかに**氏と書かれた文字を発見するかも知れない。

下の写真はとある民家に残されていた花見弁当の箱。内側には「安政4年吉日」とあった。