土管の謎を解く

west2692009-10-19

今日の一枚は「土管」。
宮光園の工事現場では水道工事のおっちゃん達が掘った溝から、古い土管の端が出てきた。普通なら「何んだか年代物が出てきたなあ」と脇にどけて作業を進めるが、ここはそうはいかない。
何が起きるかわからないけど、勝沼の考古学者M氏に声をかける。我々建築関係者は地面の上が仕事場だが、M氏の関心はもっぱら地面の下なのだ。
M氏は土管の中の砂を掻きだして「これは川砂です。これで川から水を引いていた。堆積具合から奥には空洞があるはず・・・・。あった!そんで、この方向に伸びているから、あのあたりに、穴の入り口があるはず・・・」。20メートルくらい離れた水路まで駆けてゆき、流れの中に飛び降りた。もちろん、長靴は履いている。「ほら、あった!」
そんな調子で今日は明治40年代に作られたと思しき地下水路を発見した。河川から水を取り込み、石で囲まれた桝に溜める。溜めた水が縁から溢れて水車を回す。水車には缶が取り付けられていて、回転に従い水を高いところに持ち上げるように出来ている。いわゆる揚水水車だ。工事を始める前からM氏はその存在を指摘していた。確かに古い写真にはそれらしきものは写っていたが、導水のルートが不明だった。これで、水車の場所も絞り込まれる。
泥と砂と堆積した草、それに流れ込んだ瓦礫などが混じリあった地べたばかり見つめてた後で、空を見上げるとこんな形の雲が速い速度で東に向かって流れていた。