葦刈りな日

west2692009-11-28

なにわがたみじかきあしのふしのまも あわでこのよをすごしてよとや(伊勢 百人一首
篠竹を刈った日には前日刈っておいた葦も運んだ。作業に出かける朝、こんな和歌を思い出した。百人一首は子供の頃は正月の年中行事だった。意味は判らなかったが、いくつかは上の句が出れば下の句に手が届く。条件反射みたいなものだった。
学校に行って初めて、この歌は「間」という言葉を「物差し的な長さ」と「時間的な長さ」との二つの意味を持たせていると習った。いわゆる掛詞だ。和歌なら単なる基礎知識だが、似たようなことを我々が口走ると駄洒落とか親父ギャグと蔑まれる。難しいものではある。
さて、そんな訳で今日の一枚は「葦の節」。
難波潟ではないが、長野県は千曲川支流の湯川の川岸にはこんな葦がはえていた。「短き葦の節の間」はどんな程度かと思ってあらためて見たら、概ね30センチ以上は有りそうだ。意外に長いじゃないか。
千曲川流域ではこれを竹の代わりに下地に使って土壁を塗るのだそうだ。所によっては屋根に葺くこともある。いわゆる茅葺だ。
脱線するが、茅刈り職人に「茅ってどんな植物なのか」と訊いたことがある。そんなことも知らないのかといった風情で、応えて曰く「薄も葦も藁も、屋根に葺くものはすべて茅と呼ぶんだ」。茅葺きの寿命は40年、土壁なら100年近くは保つ、葦というのは案外寿命も長いのだ。「逢わでこの世を過ごして」いるうちに人生が終わってしまう程度には長いのだ。

下の写真は刈り取った葦を束ねて、ヨシズ売り、いや再生現場に運び込んだところ。

土壁の小舞に使用する分なのだ。計算では全部で12000本必要とでた。数えてはいないけれど、これで足りるはず。