先祖がえりの柱

west2692010-01-19

今日の一枚は「祝学校の柱」。祝学校とは明治初めに山梨県で盛んに建てられた擬洋風学校建築の一つ。
この柱は学校の入り口付近のバルコニーを支えていた。学校が解体される際に、何故か縁あってお隣の宮光園に引き取られ、東屋の柱に使われていた。
柱の表面にある凸凹はヨーロッパの石で造られた古典主義建築の柱を模倣したものだが、ブータンあたりの木造建築に見られる束(たば)柱にも似ている。
古典主義建築はギリシャ神殿が御先祖様だが、ギリシャ神殿のルーツは木造建築と言われている。何度もコピーを繰り返しながら、ヨーロッパからインドを経て日本に来るうちに木造建築に先祖がえりしてしまったらしい。
無造作に扱われていたわりには傷みが少ないけど、同時代に建てられた擬洋風建築の多くは重要文化財になっている。祝学校は図面も、ポーチについていた彫刻も残っている。その気になればいつでも復原できるのに、このままでは貴重な柱が腐ってしまう。これでいいのだろうか。
下の写真は同じ擬洋風建築である勝沼田中銀行のポーチを支える柱。

こちらは更に先祖がえりが進み和風化している。柱の表面はナグリ仕上げみたいになっている。