永遠平和のために

west2692010-01-25

右の写真は修理を終えた宮光園の棟瓦。ちょっと扁平な「輪違い」。
今日は昨日の続きを書く。
外に出ないといえば、哲学者のカントも生まれた町であるケーニヒスベルクを生涯ほとんど離れたことはなかった。だから外国旅行にだって行ってない。閉じ籠もりとか出不精だからではなくて、住んでいる所が充分に居心地が良い所だったので、あえて外に出る必要も無かったらしい。もっとも、熊谷守一と違い、活動範囲はもう少し広くて散歩くらいはしている。カント先生の散歩時間は正確なので、出会う人が時計代わりにしたというのは有名な話だ。
彼が生まれた当時のケーニヒスベルクはドイツの東端にある町だったが、第二次世界大戦を境に、現在はロシアの最西端の町になっている。先生の代わりに国境の方が移動して、亡くなってから外国に住むことになった訳だ。
ちなみにカントは難解な思想家といった印象があるが、戦争を無くすために「永遠平和のために」というやさしい本も残している。でもやさしい本だからみんなに理解される訳ではない。世界が彼の書いた通りになっていたら、今でもドイツの東のはずれで眠っているはずだった。
そんな訳で一般庶民としては家に閉じこもってばかりいられない。今日はちゃんと仕事に出かけた。下の写真は宮光園。

土壁の裏返し塗りをしたばかりで、まだ乾いていない。