埋蔵金発見

west2692009-08-08

日本で鋳造された最古の貨幣は「和同開珎」という。8世紀に作られたお金だ。そんなことを歴史の教科書で読んだような記憶がある。当時の貨幣は流通のみならず、呪術的な意味を持った使い方をされていて、寺院建立の際は基壇に置かれたという。民家の大黒柱の下には再建費用が埋まっているといった話も良く聞いたが、そんな風習が根底にあったのかも知れない。、
さて、古建築の解体に立ち会ったのは、山梨市にある清白寺の庫裏の修理工事が最初だった。
例によって、大黒柱や礎石の下からお金が出てくるんじゃないかと、工事関係者が話していたけど、結局何も出てこなかった。それ以来、古民家の解体は何棟も経験したけれど、柱の下からお金が出てきたことは一度も無かった。
今日の一枚は宮光園の大黒柱の礎石。現場に行くと監督が「柱の下からお金が出てきました」という。揚屋をして、大黒柱が持ち上がった後で、礎石に残った埃を払っていたら、出てきたんだそうだ。先週何人かで大黒柱の下を覗き込んでいたけれど、埃に埋もれていて誰も気が付かなかったのだ。そのくらい薄い貨幣なのだ。
この貨幣の文字は「文久永宝」と読むのだそうだ。下の写真。

文久2年から明治2年にかけて鋳造されていたという。建物の建築主が文久3年生まれだから、記念かお守りのつもりで置いたのだろう。
再建費用とするには若干というか、かなり不足しているが、こうして運良く再生工事を行っている。結果的には、お守りとしての成果がちゃんとあった訳だ。